Parental Advisory for President Satisfaction.

23 / 8月 / 2014 category.Management

Parental Advisory なんという美しい響きであろう。
mini
私が愛聴するHeavy MetalのCDジャケットには、必ずといっていいレベルで目にするものである。
本来は内容物に不適切なものがあるから、保護者が指導する必要があることを明示したステッカーである。しかしながら、一般にはその判断をしている方々の感性が不適切であったりするものだから、逆説的に理解をすれば、貼ってあれば安心ということにもなろう。

統計的にみれば、このステッカーと共に生きているものと、そうでないものとの中に、いわゆる社会的悪人が発生する率は対して変わらないはずだと感じる。
類は友を呼ぶという言葉の通り、善き人には善き人が集まる、逆もそうである。ステッカーと共に生きるものが、集団化した際に後者として捉えることには思考の必要が無いというだけのことであろう。つまりメディア受けすると。

そろそろ主題に入ろう。
親友でもあり、尊敬する経営者でもある、「どんまゐ鈴木」という男がある。
一緒に登壇したあるセッションで、彼は顧客満足(以下CS)よりも社員満足(以下ES)よりも「社長満足」(以下PS)が大切と説いた。勿論、私が強く共感したのは想像の通りだ。
同時に、CSやESに関しては種々の説があれど、PSに対してのそれが極めて貧弱なことに対して違和感を感じたことを昨日のことのように記憶している。
物事を「理解」するにあたって、感性的な共感と論理的な裏付けを強烈求める私の個性が、その状態を放置するのは極めて困難なことであった。

勿論、ここにいうPSとは社長を奉りイエスマンになれというような次元の低いことではない。
組織は、そのリーダーの考えることの実現に全力を注ぐべきであり、何よりプライオリティが高いことだということである。そう、CSやESとはディメンジョン(次元)が違うのだ。
当然の帰結として、リーダーの考える「未来」が重要ということになる。その「未来」に人を引き込む大義があるか、社会的意義があるのか、そして何よりも彼の内面から沸き出でたものであるのか。これらの要素が、PSの根底にあることは決して目を背けてはならない極めて重要な事実である。
よって、私たちリーダーと呼ばれる立場にある人間がそれを自分のものとしようとするのは、ある種リーダーとしての義務的行為と呼べるのである。

私は4人の社長に仕えている。
私の社会人としての最大の落ち度は何かと問われれば、その内のお一人に対して、PS実現のために最大限の努力を注がなかったことである。その方の描いた「未来」が私のそれとは合わなかったというのが私の言い訳である。また、その「未来」の客観的な正しさに関しての論議が次元が異なるのでここでは行わない。

どんな事情であれ、私がPS実現に向けて全力を尽くさなかった時期があるという事実だけが大切なのだ。
今も十分ハッピーな毎日であるが、その問題時期に全力を尽くすことが出来ていたなら、さらに面白い人生が展開出来ていたに違いない。

Parental Advisory において、一番重要なことは、その内容物の表現ではなく、それを受け取る以前に両親から受けた思想的・環境的影響ならびにDNAだと思う。環境的影響の一環に、Parental Advisory として指摘されるような内容があるというのも理屈としては通るが、それは誤差にしか過ぎない。
親は子を選べず、子は親を選べないが血が繋がるという宇宙的な関係性から観れば、ほんの誤差だと思うのだ。

短期的成功を収めてその後没落する者に共通する特徴は、両親をはじめとする様々な縦の繋がりへの意識が軽薄だということだ。つまり、短期的な成功とは、授かったものを浪費したに過ぎないと言えるのかもしれない。
長期的成功を続ける人に共通する特徴は、その縦の繋がりに対して感謝の念を持ち、そこを主軸として人生を設計しているということである。
日本という国家がこれほど長続きしていることのバックボーンに、伊勢神宮や皇室を中心とする縦の繋がりがあるということを、他国との明確な違いとして私たちは認識する必要があると感じる。

右が左かで問われれば、私は右投げ右打ちに属するのだと思う。思想的にそうだからというより、その方がより論理性に富んでいると思えるためだ。

話しを戻す。
企業や組織における、いわゆる上下関係というのは、親子の関係に類似性を求めれると思う。
また、経営という文字列の意味するところは、「縦糸を営む」ということだ。
緯度と経度を考えても、縦は経度になる。地球は縦軸を中心に自転している事実からも先人が「経」という文字に込めた意図を感じることも出来よう。

つまり、リーダーの描く「未来」の実現を目指すというスタンスは、組織人にとって親孝行に近い営みであり、実に理に適った行為であるといえよう。

当然、株主至上主義や拝金主義な輩がリーダーになってしまったらどうすべきかという問いが生まれるであろう。その輩の価値観を変えるのは、恐らくその配下の個人では難しいであろう。しかし、だからといって、その縦糸から逃れようとするスタンスは、理に適っているとはいえない。
私が全力投球出来なかった方は、拝金主義などではない、立派なお方だった。ただ、私とは少しベクトルが違っていたに過ぎない。様々なことを経験した今、あの時ベクトルの違いを認識しながらも全力投球すべきだったということは私の思い出に近い後悔である。
ベクトルを捨てよということではない。ベクトルの違いを認識しながらも、「縦糸の繋がり」をより大切にして生きよということである。物事を成就させる人は、先の理由で、「縦の繋がりへの感謝」という目には見えない明確な事実に極めて敏感である。よって、自らのベクトルが社会的に観て正しいということであれば、違いを認識しながらも「縦糸」を大切にしている人間は、必ずその成就させる人の目にとまる。
ここに、なかなか確信を持てなかったというのが、私の偽らざる姿だ。論理的には判るけれども・・・というヤツである。しかし、少し経験を重ねて、人間として、自らの命が本来あるべき、縦糸の中にいるということがどれほど価値があることかということを知った。明確な確信を持ったと表現すべきか。こういったことが年齢と経験を重ねないと実感出来ないとするのであれば、宇宙は人間を実に面白い構造で創造したのだと改めて畏敬の念を感じる。

冒頭のどんまゐ氏が説いたPSには、このような価値世界があるのだという認識に立って、私はますますその言葉の美しさに心が躍らされた。しかし、一般的には理解されづらいことも承知の上だ。
なぜならば、その価値観は、「覚悟」「伝統」といったいかにもHeavy Metal的様式美の世界に満ちあふれているからだ。

少なくとも、社長満足などという言葉を口にする輩には、自分の描く「未来」を通して、人の幸せ=「縦糸に繋がる人間としての使命」を実現するのだという覚悟が備わっているであろうことは、ここでは力説しておきたい。

Stay Metal!

 

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