Little Genius

20 / 10月 / 2014 category.Genius, Heavy Metal, Management

Dream Theater に会ってきた。心の健康を取り戻すために、Loud Park 2014 に参加し、ヘッドライナーとしての彼らを観てきたのだ。Manowar という男気満載のショウがキャンセルになってしまったのは、誠に残念であるが致し方ない。仕事の関係もありフル参戦は果たせなかったのだが、何とか DreamTheater を観れた人生を祝福しなければならない。

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30代の僕は、いわゆる経営のロジックを学ぶことに大きな時間を割いた。このブログを読む方にはご存知の方も多いと思うが、経営品質向上プログラムのアセスメント基準書に基づくフレームワークがその対象となった。実は今年度より基準書が大幅に改訂になり、その変更内容をしっかりと把握しなくてはならないのだが、日本経営品質賞に申請する際に、再度学習すれば良いという優先度合いとなっている(ごめんなさい)。
誤解を恐れずに表現すれば、私はいわゆる経営品質オタクではない。そのフレームワークの有効性とそこに集まる仲間は大好きなのだが、原理主義者ではない。

歴史には、時にその存在以前と以後の時代を明確に区分してしまうような人物が現れる。
世界史が生んだ唯一無二の創造的天才といえば、ユリウス・カエサルであるが、彼の登場によって歴史は、カエサル以前と以後に分かれることになった。
Guns N’ Roses という希有のバンドが、Appetite for Destruction というアルバムをリリースし、Before Guns, After Guns という極めて重要なボキャブラリーが生まれた。

カエサルの功績と、Guns のそれは比較のしようが無い位に、規模や時代性のギャップを伴っているが、それぞれがそのシーンに強烈なインパクト与えたということに違いはない。

カエサルは、共和制という国家のカタチに生きながら、帝政という新しいカタチを見いだした。
Guns N’ Roses はアメリカに飛び火したメタルブームの中に、アメリカンロックの香りとパンクのテイストを組み込んだ新しいメタルのカタチを世に示した。

問題は、カエサルやGunsの連中が、「理想」ー「現実」=「課題」という作業を通して、何をすべきかを決め、自己の能力に基づいてそこに優先順位を付けて、その新しい「カタチ」を見いだしたかということだ。つまりフレームワークを通したら創造できたのかということが当時の僕には重要であった。
間違いなく答えはNoである。
彼らは創造的天才である。だから答えはNoであるともいえる。
しかし、カエサルの描いた世界は、暗殺後にオクタヴィアヌスが見事に実現した。Guns のそれはマーケットセールスが見事に示す。つまり後からだと結果として実証出来るのだ。

乱暴な表現をすれば、経営にとって一番大切なこととは、すなわち会社にとって一番大切なことは、この創造的「プチ」天才を定期的に生み出すことだと思えてならないのだ。私には強い影響を受けた師匠がいるが、彼も当然のことながら、この創造的天才である(本人は、「プチ」といわれるであろうが)。
彼の下で過ごした時に一番強く感じたことは、彼がいわゆる「ほぼ直感」で物事を判断し、それを数字で裏付けしているように見えたことだ。少し乱暴に表現すれば、実験を沢山行って後から成功したものだけレポートを書くような・・・。

つまり、意志決定とは「直感」に左右されるものであると。
この直感が冴えるかどうかが、創造的「プチ」天才になれるかどうかの敷居であるような気さえする。
しかし、直感に頼って意志決定をするのは、危険でもある。冴えてないこと(人)の方が圧倒的に多いからだ。また、直感が冴えるのと、上手く行くのは、組織が伴う以上別次元の問題であるのもまた人間社会の美しい事実である。

カエサルのように、自らの死を代償にその意志決定を世の人の「判断」というテーブルにのせるという勇気など、僕は到底持ち合わせていないし、持てるとも思えない。
Guns N’ Roses のように破天荒で生きることが出来るほど、僕は繊細に出来ていない。
直感的意志決定の検証を、「自らのオリジナルなテーブル」で出来るのかどうかということが、創造的天才と「プチ」天才を隔てる決定的な差なのである。

残念ながら、私の資質は「自らのテーブル」で「自らの判断の是非」を問えるほどに突き抜けたものではない。そう、「自らの判断の是非」を「他人の(社会の)テーブル」で問わねばならないという運命の自覚がいつのころからか芽生えていた。

そんなタイミングで、経営品質の考え方に出会った。「ピッタリだ!」と思うと同時に、「社会のテーブル」としては「少し敷居が高い」と感じたのも事実。しかし、世の多くの方々は経営者的視点を持たずに働いているというか、むしろそちらの方が多数派であることも事実であるがゆえに、世の中の「プチ天才」達と切磋琢磨出来るのもこの場所なのではないかと感じた。そして、出逢いから10年近く経過し、その直感がある意味において正しかったと判断している。

さて、本題に戻る。(前置き長い・・・)

自社の経営を高めていくのに必要なのは、経営者(経営という機能)が打つ次の一手であり、それは主として直感的意志決定に基づくものである。
その意志決定の正しさを評価する必要が当然発生する。その時に経営品質のフレームワークは最適であり、ちょっと費用を負担すれば外部審査というメリットまで存在する。
直感的意志決定とは、当事者の脳内で行われている連続的な思考作業の結果として生まれるものであるのだが、そのプロセスをある種客観的に振り返ることが出来るのだ。

そう、フレームワークを通して、直感的な判断という繰り返し行われてきた脳内の思考作業結果を、「見える化」するのだ。見える化は、いくつかのメリットをもたらす。
・外部審査員や他の「プチ」天才に対する説明責任果たす
・社員に対する説明責任を果たす
・ステークホルダーに対する説明責任を果たす。
重要度でいえば、社員が一番なのだが、フレームワークを理解しているという点では、上記の順となろう。

そう、フレームワークに沿って考えれば、課題は見えてくるかもしれないが、それが創造的であるとはいえない場合も多い。改善という点においては実に重要なことでもあるのだが・・・。
思いついたことをフレームワークに沿って考えることで(説明しようとすることで)、モレやムラの発見や思考プロセスそのものの見直しになるというのが私の考えだ。
という点において、自分自身をいわゆる経営品質オタクでは無いと思うのである。
多くの思いつきは、正当派のメロディックメタルと聴いていた(リラックスしている)後に、気合いをいれてデスメタルやブラックメタルを聴いた時(脳内は少し緊張している)に訪れるということもそれを如実に示している。

勿論、当社の業種や規模・レベルということを通してでしかそのフレームワークを理解していないのだが、その論理構造は他人にトレーニングを出来るレベルには成長したという自負がある。つまり、説明責任を果たすツールはある程度は身につけたと。

だからこそ、創造的「プチ」天才になるべく、自らの感性と思考のプロセスを磨く必要があるのだ。それもかなりの負荷をかけて。

Dream Theater の奏でる音楽は、感性と思考のプロセスを磨くという点において、私にとってはこの上無い対象である。整合感、美しさ、スキル、バランスなど・・・、語り尽くせない教材がそこには存在する。
普通はどちらか一方であることが多い、脳内のリラックスとテンションが同時発生していく、本当に希有な神懸かり的バンドなのだ。

気持ち良いくらいの自己正当化の論理である。

Stay Metal!

 

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